二十四節氣プロジェクト
なぜ二十四節氣なのか・・・
日本には四季があり日本人の季節の変化を感じる心が豊かな感性を育んできたと考えます。
二十四節氣は太陰暦のような、気候と暦のずれはありません。毎年同じ時期に同じ節氣がくることや節氣の感覚が約15日で一定しており、半月ごとの季節変化に対応出来ることなどから、農業の目安としては非常に便利であり、日本に導入されるようになりました。
二十四節氣は馴染みが無いようにみえて、私たちの日常生活と意外に密接な関係にあります。例えば立春の時には「暦の上では春ですが、まだ風も冷たく」などの時候の挨拶を述べたりすることに始まり、暑い盛りの挨拶「暑中見舞」を立秋以後は暑さの残る季節の挨拶「残暑見舞」に変えることなどが挙げられます。私たちは無意識に日常生活のあらゆる場面において、二十四節氣と接しているのです。
1873年 太陽暦の施行に伴い、暦そのものが簡素化されてきた昨今です。
しかし、二十四節氣は、移り変わる日本の四季の中で、日本人の心の中に脈々と受け継がれ、暮らしに密着している、日本ならではの風習です。
私たちは、カレンダーを通じて、“暦”を発信している会社です。しかし、もっと“暦文化”を皆さまに知っていただきたいと考え、このプロジェクトを立ち上げました。
私たちの思いが皆さまに届き、日々の暮らしの中に、二十四節氣という、季節の彩りが添えられますようにと願っております。
小野カレンダー株式会社
代表取締役 小野英之
二十四節氣について
二十四節氣は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の1つで、1年を12の「中気」と12の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられています。
また二十四節氣は太陽の動きをもとにしているため太陽が移動する天球上の道である黄道を24等分しており、毎年同じ時期に同じ節氣がめぐってきます。
このように節氣の間隔が一定で半月ごとの季節変化に対応できるので、天候に左右される農業の目安として大変便利なものとして古来より親しまれ、今日でも年中行事や季節ごとのの挨拶など様々な場面でで使われています。
各々の二十四節気
「春の気 、立つをもってなり」(暦便覧)
この日から立夏の前日までが暦の上での春です。寒さは最も厳しい頃ですが、降りそそぐ太陽の光からは、春の気配も感じられ始めます。節分の翌日で、「春立つ」ともいい、「立春」になることを、「寒明け」ともいいます。
「陽気地上に発し、雪氷解けて雨水となればなり」(暦便覧)
雪は雨となり、氷も溶けて水となる時季です。雨水がぬるみ、草木も芽を出し始め、農家では、農耕の準備を始める目安となります。
「陽気地中に動き、ちぢまる虫、穴を開き出ずればなり」(暦便覧)
「啓」は、「ひらく」という意味。「蟄」は、虫などが冬眠するという意味で「啓蟄」は、冬ごもりをしていた虫などが暖かさに誘われて地上へ這い出してくることを表しています。
「日、天の中を行きて、昼夜等分の時なり」(暦便覧)
この日、真東から昇った太陽は真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ等しくなります。
北半球ではこの日を境に、次第に昼が長く、夜が短くなります。この日をはさんだ前後7日間が「春の彼岸」です。
「万物発して清浄明潔なれば此芽は何の草と知るるなり」(暦便覧)
すべてが明るく清らかで、生き生きとしてすがすがしく感じられる頃。草木の花も咲き始めます。「清明」は「清浄明潔」の略といわれています。
「春雨降りて、百穀を生化すればなり」(暦便覧)
全ての穀物(百穀)をうるおす春の雨の意味で、けむるように降る雨は田畑を潤し、穀物などの生長を助ける時季。農家にとっては、種蒔きの適期です。
「夏の立つがゆえなり」(暦便覧)
この日から立秋の前日までが、暦の上での夏です。山々に緑が目立ち始め、夏の気配を感じ始める頃。「夏立つ」「夏来る」ともいいいます。

「万物盈満すれば、草木枝葉繁る」(暦便覧)
陽気もよくなり、草木なども次第に生い茂ってくる季節。麦が穂をつけ、農家では田に苗を植える準備などを始めます。
「芒ある 穀類稼種する時なればなり」(暦便覧)
麦を収穫し、田植えを始める時期。 芒は、麦や稲などの穀物の先にある針のような毛のことで、「芒種」とは、麦を収穫し「のぎ」のある穀物の種を播いたり、稲の苗を植え付ける時期のことを意味しています。
「陽熱至極し、又、日の長きのいたりたるをもってなり」(暦便覧)
北半球では、昼が最も長く、夜が最も短い日です。この日を境に次第に日脚が短くなって行きます。梅雨に入っていて、農家は田植えなどの農作業で忙しい毎日です。
「大暑来たれる前なればなり」(暦便覧)
この日から暑気に入り、本格的な暑さが始まるとされます。
「暑気いたりつまりたる時節なればなり」(暦便覧)
一年中で最も暑い日という意味です。しかし、実際に最も暑いのは8月上旬頃です。
ほとんどの地方で梅雨明けもしくは、梅雨明け間近となります。
「初めて秋の気立つがゆえなればなり」(暦便覧)
この日から立冬の前日までが、暦の上での秋です。厳しい暑さがまだまだ残っていますが、夕方の涼やかな風に秋の気配も感じられるようになってくるころで、「秋立つ」ともいいます。
「陽気とどまりて、初めて 退きやまんとすればなり」(暦便覧)
半月ほど前に「立秋」を迎えましたが、まだまだ暑さが残っていました。しかし、それもようやくおさまり、吹く風にも涼しさが加わってきたようです。「処暑」は、暑さが止むという意味で、朝夕次第に冷気が加わってくる時季です。
「陰気ようやく重なりて、露こごりて 白色となればなり」(暦便覧)
野の草に宿る白露(しらつゆ)も、秋の風情を感じさせるようになる頃。夜の内、大気が冷え込むようになり、朝がた草木などに露が宿ることが多くなります。
「陰陽の中分なればなり」(暦便覧)
この日、真東から昇った太陽は真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ等しくなります。
北半球ではこの日を境に、次第に昼が短く、夜が長くなります。この日をはさんだ前後7日間が「秋の彼岸」です。
「陰寒の気におうて(合って)、 露むすび凝らんとすればなり」(暦便覧)
朝露も一段と冷たく感じられ、秋が深まってくる頃。朝晩は寒気さえ感じることもあります。
「露が陰気に結ばれて、 霜しもとなりて降るゆえなり」(暦便覧)
朝夕の気温も下がり、霜も降り始める頃。秋も終わり、冬の到来が感じられます。
「冬の気立ち初めて、いよいよ冷ゆればなり」(暦便覧)
この日から立春の前日までが、暦の上での冬です。日脚も短くなり、冬の気配も感じられるようになって、「冬立つ」ともいいます。
「冷ゆるがゆえに、雨も雪となりてくだるがゆえなり」(暦便覧)
わずかながら雪が降り始める頃。本格的な冬の到来がすぐそこに感じられる時季です。寒い地方では雪が山の頂を覆い始めます。
「雪いよいよ降り重ねる折からなればなり」(暦便覧)
山の峰は雪に覆われ、寒い地方では根雪になる雪が降り始めます。北風が吹き、平地でも雪が降る頃。本格的な冬の到来です。
「日、南の限りを行きて、日の短きの至りなればなり」(暦便覧)
北半球では、正午の太陽の高度が一年中で最も低く、昼が最も短く、夜が最も長い日です。この日を境に次第に日脚が長くなって行きますが、寒さはますます厳しくなって行きます。
「冬至より一陽起るがゆえに、陰気に逆らうゆえ益々冷ゆるなり」(暦便覧)
この日を「寒の入り」ともいいます。寒さが一段と厳しくなる頃で、寒中見舞いを出したりします。「寒」や「寒の内」は、この日から「節分」までのおよそ1か月間で、厳しい寒さが続きます。
「冷ゆることの至りて甚だしき時なればなり」(暦便覧)
一年中で最も寒さが厳しい時季。「大寒」は、一年で最も寒い日の意味で、その日1日だけをいいます。「小寒」は『寒の入り』ですが、「大寒」を『大寒の入り』とはいいません。